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宝蔵寺

ほうぞうじ

区分/種別
指定なし
分類
疎開
所在地
鹿沼市上材木町
時代
その他の時代【1450年頃創建】
見学
文化財概要

アメリカ軍の空襲に備えて政府は、「学童疎開促進要綱」を策定し、学童を地方へと分散させる対策を講じた。「縁故疎開」から始まった学童疎開は、空襲が激化してきたことから、昭和19(1944)年8月から国民学校初等科3~6年生を対象にした「集団疎開」へと移行した。その数は全国で70万人に及び、栃木県内にも約15,000人が疎開したとされる。
 鹿沼町(現在の鹿沼市上材木町)の宝蔵寺には、東京から津久戸国民学校の児童134人が疎開し、昭和19(1944)年8月から翌年10月まで、親元を離れて寝食を共にした。本堂の隅にあるガラス戸には疎開児童が描いたと思われる飛行機の絵が残っている。学業面では鹿沼北国民学校が受け入れ、地元の子どもたちと机を並べて勉強した。戦後、両校の関係者が集い、旧交を温める機会も設けられた。
 数年以内に本堂の大規模改修を予定している。


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  • 本堂のガラス戸に残る飛行機の落書き

  • 134人の児童が疎開した本堂

  • 宝蔵寺にて、校長先生の紙芝居(昭和19(1944)年8月~9月頃) 出典:『写された学童疎開』 新宿区立新宿歴史博物館